『僕』にとって初めてのクリスマスが今夜やって来る。そう、生まれて初めて。18歳も過ぎて初めてなんて少し恥ずかしいけれど、僕の周りにクリスマスに寄り添ってくれる優しいひとはいなかったから。別に不幸自慢をするわけじゃない。
『彼』は雪の中行くところのない僕を拾ってくれた。高身長、黒髪で少し目つきが悪い。彼は新進気鋭の所謂アーティストで、最近ちょっと忙しい。
ゆっくり外食なんて時間は彼にはないから、今年は家でクリスマスを祝うことに。
その日は朝からキッチンで孤軍奮闘。
自分の長い髪を束ねたあと、僕は生まれて初めてのクリスマスケーキを作った。ケーキに乗ったサンタクロースの人形は猫の顔で、ちょっと首を傾げてる。
猫をいじってると彼に買ってもらった携帯電話が鳴る。今日はお仕事で雪の降る街に行っていたはず、夜には帰るって。
「もしもし、何かありましたか?はるゆきさん」
電話の向こうでは風の音がうるさかった。
「みつば、悪い……雪で電車が動かなくて、今夜帰ることが出来るかわからない」
「は……」
僕に申し訳ないと謝って電話は切れた。
思わずその場に座り込む。
彼、はるゆきさんだって好きで帰って来られないんじゃない。彼は悪くない、悪くない……だけど僕は本当に楽しみにしていたんだ。
「ふ……」
知らなければよかった、冬の暖かい部屋も白いケーキも……猫のサンタクロースも。
はるゆきさんはきっとクリスマスを知っているのだろう。冬の暖かい部屋と白いケーキ。彼にとって生まれて初めてのその日はその心にどんな暖かいものを残したのだろうか?
「はるゆきさん、僕はどこに行くのでしょうか……」
クリスマスさえも、遠い。
◇
両親を知らず、何度目かに引き取られた家には僕と同じくらいの子どもがいた。癖っ毛でいたずらそうな瞳。遊び相手に良いだろうと彼におもちゃを与えるように引き取られたのは僕。
「長い髪ー、お前みつばって言うの?」
「はい」
少年の名前は梓だ、彼の両親がそう呼んでいた。黙って僕を見つめる梓は、突然僕の腕をつかむと、ためらうことなくそこに噛み付く。
「痛いっ!」
「あはは!おもしろいんだー」
何を……僕は何か悪いことをしたのだろうか?
噛み付いた場所にさらに爪を立て、梓は言った。
「気に入ったよ、みつば」
梓との関係はそれから10年にも続いた。彼の性格は年を経るごとにさらに乱暴になって行く。
「みつば、お前のいいところなんてその顔だけだな。あとは汚い」
僕の身体中、梓につけられた傷だらけで。
梓も思えば不憫なところがあった。彼もまたクリスマスを知らない。共働きで留守がちの両親、家にいるのはおもちゃの僕。彼自身もクリスマスに憧れたのか、その日だけは僕から手を放して友人の家に遊びに行く。その頃の僕はひとり家事に追われ、学校さえもろくにいけなかった。引き取られただけで幸せだと思わないと、と自分をそこに縛り付けて。
誰もいないクリスマスの家、寂しくなって街に繰り出すとそこは幸福で溢れていた。
寄り添う親子、子どもは肩車の上からイルミネーションを望む。仲間と騒ぐ学生達、大きなケーキとチキンの箱を持って、肩を組んではしゃいでいる。そして手を繋ぐ恋人たち、その手にはペアリング。どうかこれからもそばにいられますように、と。
知らない……全ては僕の生きている場所からは遥か遠く、背伸びすらしても見えやしなかった。
◇
それからしばらくの18歳の誕生日の日、僕は家から逃げ出した。このまま死ぬまで彼のおもちゃでいるのかな、と諦めていたその日に梓は派手な女の子達を連れて帰ってきて、突然僕に笑いながら言った。
「みつば、もうお前いらないよ」
しっしっ、と追い払う真似をして。
女の子を抱き寄せてキスをする、はしゃぎ声。
今から思えば彼は僕に嫉妬して欲しかったのかもしれない。その前日、彼は僕に甘えるように触れたから……。
そう言う関係を望んでいた彼に対して、僕は何の感情もなかった。愛とか友情とか全ては遠くかすんでいて、梓の顔すらろくに見てはいなかったから。
小さなボストンバッグに着替えとお財布を。思い出なんてなかったから荷物は少ない。梓はと言うとまだ騒いでいたから、さようならも告げないで裏口から抜け出した。
最寄りの無人駅から何本も電車を乗り継いで、お金が尽きるまで電車に乗ってやって来たのは見知らぬ都会、僕はその後の梓を知らない。
「都会でも雪は降るんだ……」
電車を降りて駅から出る。傘一本も買えないからっぽの財布に頼ることは出来ず、夜の知らない街を歩き続けたものの、住宅街に迷い込んでしまい少し困っている。雪は綺麗だけど寒くて凍えそう……。
「おい」
突然の声に振り向くと、ひとりの背の高い男のひとが大きなカメラを持って立っていた。眉をひそめ、怖い顔。
「あ……撮影の邪魔でしたか?すみません」
「いや、そうじゃなくて」
彼は僕の腕をつかむ。
「そんな薄着でいたら命を奪われるぞ」
そして黙って僕の手を引いて、高級そうなマンションへ。
「あ、あの……」
部屋に向かうエレベーターの中で彼と目があう、30歳くらいかな……笑いもしない、怖そうなひと。
「悪かったな」
「えっ」
「顔が怖いってよく言われるんだよ」
そして不器用に彼は笑う。このひと、本当はいいひとなのかもしれない。
「す、すみません、えっと……」
「ああ、名前か? 久下晴雪。はるゆきでいいよ。お前の名前は?」
久下晴雪、何処かで聞いた名前だ。
「僕は……みつば、です」
雪は明け方にやんだ。
はるゆきさんとはそれ以来あまり話もしなかったけれど、この空間は苦痛じゃなかった。彼は僕を傷つけなかったから。
「雪もやみました、一晩本当にありがとうございました」
どこへ行くのかなんて決めてない。だけどこの家にいるわけにはいかないと。
はるゆきさんに頭を下げて家から出ようとした、その時だ。出て行こうとした僕の手を彼は離さない。
「あ、あの……」
「もう少し、ここにいてはくれないか?」
その一言で彼の心を聞いたわけじゃない、だけど彼に惹かれていたのは僕も同じだったから。
◇
そしてひとりぼっちのクリスマスの夜は更けて行く。
はるゆきさんからはあれから電話もメールすら来なかった。もうすぐクリスマスも終わる時間。ひたすら待ち続けているうちに、なんだか涙まで出て来てしまった。なんで? この程度の悲しみは、何度も経験したじゃないか。
「ねこさん……」
ケーキの上の猫のサンタクロースの人形も泣いてる気がする。そんな顔しないで……でも、僕も君もひとりなんだね。
ひとりを知ってる。
孤独、を知ってる。
夢なんて描いてごめんなさい……。
鳴らない携帯電話を裏返し。
涙を拭って残った家事をしてしまおうと、立ちあがってキッチンのシンクで洗い物をしようとした時だ。
玄関のドアを激しく叩くひとがいる。
時刻はもうすぐ午前0時。はるゆきさんは帰れないって、じゃあ……どこかの酔っ払い?
「か、帰ってください……」
だけど酔っ払いらしきひとはドアを叩き続ける。怖い、どうしよう……け、警察に電話しなきゃ。
すると向こうから小さく誰かの声が聞こえる。
「おい……みつば!」
聞き覚えのある低い声、それは待ち望んでいたあのひとの。
「も、もしかしてはるゆきさんですか……?」
ドアを開けると雪にまみれた彼の姿があった。あまりに真っ白で僕の方が呆然としている。
「なんで……帰らないんじゃ……」
「……初めてだったんだろ?」
「え」
「クリスマス」
そう言って彼は優しく笑って僕の頭を撫でた。
「間に合ったな、午後11時57分。メリークリスマス」
◇
「初めてにしては上出来じゃないか」
「クリスマスケーキってこんな感じですか?」
「いいと思うよ、サンタはお前が食べろな。クリスマスパーティーの主役だから」
「しゅ、主役?」
そんな経験だってしたことない。
「愛されてるやつが主役って決まってるんだよ」
「愛されてるって……誰に?」
「あのな、俺に言わせるなよ」
なんだかはるゆきさんは照れたように。
ケーキの記念写真を撮ってふたりに切り分けるのは、はるゆきさん。
「ほら、食べような……って、みつば?」
「はるゆきさ……う……」
いつの間にか僕は涙がとまらなくなっていた。はるゆきさんが、そんな僕を笑う。
「なんで泣くんだよ、寂しかったか?」
「だ、だって」
「お前のために手を尽くしたんだよ、タクシーの運転手急かして空いてる道路探してさ」
「そんな……明日でも良かったんですよ」
「それは駄目、クリスマスは今日までだからな」
僕を思い、必死で帰って来てくれたひと。こんな、こんな優しいひと他にはいない……。
「ご、ごめんなさいはるゆきさん……ありがとうございます」
嬉しいって言葉の意味を初めて知った。
僕はいま、幸せだって。
その感情は知ってしまえばもう戻れない。
彼は僕の頬に手を伸ばしてキスをして深く深く、お互いの体温を探り合うように。
「……はるゆきさん、僕はいま幸せです」
『彼』は雪の中行くところのない僕を拾ってくれた。高身長、黒髪で少し目つきが悪い。彼は新進気鋭の所謂アーティストで、最近ちょっと忙しい。
ゆっくり外食なんて時間は彼にはないから、今年は家でクリスマスを祝うことに。
その日は朝からキッチンで孤軍奮闘。
自分の長い髪を束ねたあと、僕は生まれて初めてのクリスマスケーキを作った。ケーキに乗ったサンタクロースの人形は猫の顔で、ちょっと首を傾げてる。
猫をいじってると彼に買ってもらった携帯電話が鳴る。今日はお仕事で雪の降る街に行っていたはず、夜には帰るって。
「もしもし、何かありましたか?はるゆきさん」
電話の向こうでは風の音がうるさかった。
「みつば、悪い……雪で電車が動かなくて、今夜帰ることが出来るかわからない」
「は……」
僕に申し訳ないと謝って電話は切れた。
思わずその場に座り込む。
彼、はるゆきさんだって好きで帰って来られないんじゃない。彼は悪くない、悪くない……だけど僕は本当に楽しみにしていたんだ。
「ふ……」
知らなければよかった、冬の暖かい部屋も白いケーキも……猫のサンタクロースも。
はるゆきさんはきっとクリスマスを知っているのだろう。冬の暖かい部屋と白いケーキ。彼にとって生まれて初めてのその日はその心にどんな暖かいものを残したのだろうか?
「はるゆきさん、僕はどこに行くのでしょうか……」
クリスマスさえも、遠い。
◇
両親を知らず、何度目かに引き取られた家には僕と同じくらいの子どもがいた。癖っ毛でいたずらそうな瞳。遊び相手に良いだろうと彼におもちゃを与えるように引き取られたのは僕。
「長い髪ー、お前みつばって言うの?」
「はい」
少年の名前は梓だ、彼の両親がそう呼んでいた。黙って僕を見つめる梓は、突然僕の腕をつかむと、ためらうことなくそこに噛み付く。
「痛いっ!」
「あはは!おもしろいんだー」
何を……僕は何か悪いことをしたのだろうか?
噛み付いた場所にさらに爪を立て、梓は言った。
「気に入ったよ、みつば」
梓との関係はそれから10年にも続いた。彼の性格は年を経るごとにさらに乱暴になって行く。
「みつば、お前のいいところなんてその顔だけだな。あとは汚い」
僕の身体中、梓につけられた傷だらけで。
梓も思えば不憫なところがあった。彼もまたクリスマスを知らない。共働きで留守がちの両親、家にいるのはおもちゃの僕。彼自身もクリスマスに憧れたのか、その日だけは僕から手を放して友人の家に遊びに行く。その頃の僕はひとり家事に追われ、学校さえもろくにいけなかった。引き取られただけで幸せだと思わないと、と自分をそこに縛り付けて。
誰もいないクリスマスの家、寂しくなって街に繰り出すとそこは幸福で溢れていた。
寄り添う親子、子どもは肩車の上からイルミネーションを望む。仲間と騒ぐ学生達、大きなケーキとチキンの箱を持って、肩を組んではしゃいでいる。そして手を繋ぐ恋人たち、その手にはペアリング。どうかこれからもそばにいられますように、と。
知らない……全ては僕の生きている場所からは遥か遠く、背伸びすらしても見えやしなかった。
◇
それからしばらくの18歳の誕生日の日、僕は家から逃げ出した。このまま死ぬまで彼のおもちゃでいるのかな、と諦めていたその日に梓は派手な女の子達を連れて帰ってきて、突然僕に笑いながら言った。
「みつば、もうお前いらないよ」
しっしっ、と追い払う真似をして。
女の子を抱き寄せてキスをする、はしゃぎ声。
今から思えば彼は僕に嫉妬して欲しかったのかもしれない。その前日、彼は僕に甘えるように触れたから……。
そう言う関係を望んでいた彼に対して、僕は何の感情もなかった。愛とか友情とか全ては遠くかすんでいて、梓の顔すらろくに見てはいなかったから。
小さなボストンバッグに着替えとお財布を。思い出なんてなかったから荷物は少ない。梓はと言うとまだ騒いでいたから、さようならも告げないで裏口から抜け出した。
最寄りの無人駅から何本も電車を乗り継いで、お金が尽きるまで電車に乗ってやって来たのは見知らぬ都会、僕はその後の梓を知らない。
「都会でも雪は降るんだ……」
電車を降りて駅から出る。傘一本も買えないからっぽの財布に頼ることは出来ず、夜の知らない街を歩き続けたものの、住宅街に迷い込んでしまい少し困っている。雪は綺麗だけど寒くて凍えそう……。
「おい」
突然の声に振り向くと、ひとりの背の高い男のひとが大きなカメラを持って立っていた。眉をひそめ、怖い顔。
「あ……撮影の邪魔でしたか?すみません」
「いや、そうじゃなくて」
彼は僕の腕をつかむ。
「そんな薄着でいたら命を奪われるぞ」
そして黙って僕の手を引いて、高級そうなマンションへ。
「あ、あの……」
部屋に向かうエレベーターの中で彼と目があう、30歳くらいかな……笑いもしない、怖そうなひと。
「悪かったな」
「えっ」
「顔が怖いってよく言われるんだよ」
そして不器用に彼は笑う。このひと、本当はいいひとなのかもしれない。
「す、すみません、えっと……」
「ああ、名前か? 久下晴雪。はるゆきでいいよ。お前の名前は?」
久下晴雪、何処かで聞いた名前だ。
「僕は……みつば、です」
雪は明け方にやんだ。
はるゆきさんとはそれ以来あまり話もしなかったけれど、この空間は苦痛じゃなかった。彼は僕を傷つけなかったから。
「雪もやみました、一晩本当にありがとうございました」
どこへ行くのかなんて決めてない。だけどこの家にいるわけにはいかないと。
はるゆきさんに頭を下げて家から出ようとした、その時だ。出て行こうとした僕の手を彼は離さない。
「あ、あの……」
「もう少し、ここにいてはくれないか?」
その一言で彼の心を聞いたわけじゃない、だけど彼に惹かれていたのは僕も同じだったから。
◇
そしてひとりぼっちのクリスマスの夜は更けて行く。
はるゆきさんからはあれから電話もメールすら来なかった。もうすぐクリスマスも終わる時間。ひたすら待ち続けているうちに、なんだか涙まで出て来てしまった。なんで? この程度の悲しみは、何度も経験したじゃないか。
「ねこさん……」
ケーキの上の猫のサンタクロースの人形も泣いてる気がする。そんな顔しないで……でも、僕も君もひとりなんだね。
ひとりを知ってる。
孤独、を知ってる。
夢なんて描いてごめんなさい……。
鳴らない携帯電話を裏返し。
涙を拭って残った家事をしてしまおうと、立ちあがってキッチンのシンクで洗い物をしようとした時だ。
玄関のドアを激しく叩くひとがいる。
時刻はもうすぐ午前0時。はるゆきさんは帰れないって、じゃあ……どこかの酔っ払い?
「か、帰ってください……」
だけど酔っ払いらしきひとはドアを叩き続ける。怖い、どうしよう……け、警察に電話しなきゃ。
すると向こうから小さく誰かの声が聞こえる。
「おい……みつば!」
聞き覚えのある低い声、それは待ち望んでいたあのひとの。
「も、もしかしてはるゆきさんですか……?」
ドアを開けると雪にまみれた彼の姿があった。あまりに真っ白で僕の方が呆然としている。
「なんで……帰らないんじゃ……」
「……初めてだったんだろ?」
「え」
「クリスマス」
そう言って彼は優しく笑って僕の頭を撫でた。
「間に合ったな、午後11時57分。メリークリスマス」
◇
「初めてにしては上出来じゃないか」
「クリスマスケーキってこんな感じですか?」
「いいと思うよ、サンタはお前が食べろな。クリスマスパーティーの主役だから」
「しゅ、主役?」
そんな経験だってしたことない。
「愛されてるやつが主役って決まってるんだよ」
「愛されてるって……誰に?」
「あのな、俺に言わせるなよ」
なんだかはるゆきさんは照れたように。
ケーキの記念写真を撮ってふたりに切り分けるのは、はるゆきさん。
「ほら、食べような……って、みつば?」
「はるゆきさ……う……」
いつの間にか僕は涙がとまらなくなっていた。はるゆきさんが、そんな僕を笑う。
「なんで泣くんだよ、寂しかったか?」
「だ、だって」
「お前のために手を尽くしたんだよ、タクシーの運転手急かして空いてる道路探してさ」
「そんな……明日でも良かったんですよ」
「それは駄目、クリスマスは今日までだからな」
僕を思い、必死で帰って来てくれたひと。こんな、こんな優しいひと他にはいない……。
「ご、ごめんなさいはるゆきさん……ありがとうございます」
嬉しいって言葉の意味を初めて知った。
僕はいま、幸せだって。
その感情は知ってしまえばもう戻れない。
彼は僕の頬に手を伸ばしてキスをして深く深く、お互いの体温を探り合うように。
「……はるゆきさん、僕はいま幸せです」
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